等妙寺
等妙寺は鎌倉時代末期の元応2年、西暦で言うと1320年に天台宗、静義上人によって、ここ奈良山に開山されました。
今から690年前のことです。それから脈々と時代の流れを紡ぎながら今の時代を迎えております。
奈良山霊苑は今から25年前に檀家さんの協力をえることで開苑されました。
【由緒・縁起】
奈良山等妙寺は、現在地より約3q山中にあり、延暦二十二年(803)、比叡山南渓の聖明上人が、この地に遊化せられ一宇を建てられたのが始まりとされる。大同四年(809)、弘法大師が、この地に草庵を一夜建立されたとも伝えられる。
元応二年(1320)、中興開山理玉和尚の頃、山内に十二坊、山上に十一社、山下に十禅師、七堂伽藍を備え、伊予の国に七十二の末寺を有し、足利将軍義詮公より五百石を与えられた。また、後醍醐天皇の勅願寺として、鎌倉の宝戒寺・肥後の鎮興寺・加賀の薬師寺とともに日本四大戒道場の一つと定められた。
天正十六年(1588)ごろ、全建物を焼失し寺領も没収された。天正十八年(1590)、鎌田正秀が一般民衆に呼びかけ、現在の地に再興した。
現在、広見町の教育委員会が主体となって、旧等妙寺跡が発掘調査されている。
宝物として、本尊如意輪観世音菩薩像・不動明王像・毘沙門天像、後醍醐天皇ゆかりの掛け軸、香式法衣・黄鈍七条・宝玉(牛玉・貝玉・鹿玉)などが残されている。
【宗派】
天台宗
【別名】
後醍醐天皇勅願寺
【本尊】
如意輪観世音菩薩
【開山】
聖明上人
【開基】
延暦二十二年(803)
【寺宝】
後醍醐天皇ゆかりの香式法衣・黄鈍七条・宝玉(牛玉・貝玉・鹿玉)
両会曼陀羅の軸
戒道場本尊の軸(広見町文化財)